変わらずに、愛され続ける暖簾がある。
変われずに、忘れ去られる暖簾もある。
嘉永元年
初代 のれん分けから始まる小倉屋山本
小倉屋山本の創業者、初代山本利助は兵庫県淡路島に生まれ、10歳前後で大阪の松原久七のもとへ丁稚奉公に入りました。久七はびんつけを商う小倉屋に奉公していましたが、この店が代々一子相伝でのれん分けが許されなかったため、昆布の小倉屋としてのれん分けされ、店を構えていました。そこへ訪れた利助は熱心に勤め、嘉永元(1848)年のれん分けを許され、新町橋のたもとに店を開きました。これが小倉屋山本創業の時です。利助は「何事も堪忍」と書いた額を毎日礼拝し、夫婦で力を合わせて、今日の小倉屋山本の礎を築きました。
大正
二代目 時代を先取りした百貨店への挑戦
新しいことにチャレンジする精神を持ち合わせていた二代目は「これからの時代は百貨店 だ」といちはやく時代の流れを読み取り、百貨店の食料品部と取引を開始しました。大正時代、量産、量販の近代化が始まり、小倉屋山本も「商いから実業へ」と商売のかたちを変えていきました。
昭和
三代目 戦後新たな「小倉屋山本」の誕生
大阪大空襲で全焼した店を再興し、またのれんと品質へのこだわりと誇りから店名を「小倉屋山本」としました。昭和24年「えびすめ」を発売し、雑誌に「うますぎる昆布」として紹介され話題となり、昭和29年には農林大臣賞を受賞しました。その後、小説『暖簾』が映画化されると、小倉屋山本はますますその認知度を高めていきました。
平成
四代目 さらなる昆布の可能性を追求
現在、小倉屋山本は浪速を代表する老舗として広く知られるようになりましたが、四代目は、それに甘んじることなく、さらなる昆布の可能性を常に追求しています。そして、おいしく、日常的に、適正な価格で食べていただける商品を創ることを、これからの小倉屋山本の使命と考え、伝統と新しい技術の融合を図りながら、前進を続けています。